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福祉事業所(懇親会) [福祉]

昨日、薄光会の法人と事業所職員の懇親会に参加して参りました。参加者は150名位でしたが若さ溢れる楽しい有意義な懇親会でした。最後に10年、20年の勤続者表彰も有りました。現在では、此の皆さんが中心となって各事業所を支えています。1979年に最初の施設豊岡光生園を開設して以来「特養三芳光陽園」、「鴨川ひかり学園」、「湊光学園」、グループホームCOCO、「太陽のしずく」等々を開設して参りましたが、今では利用者をはじめ法人の役員、従業員も大半が地元の方で地域に密着した事業所として事業展開を進めています。DSC00013 (3).JPGDSC00004 (3).JPG




地元の事業所として [福祉]

619日薄光会の親睦会及び永年勤続者並びに高齢勤務者の表彰式に伺った。会場は南房総の金谷港のフィッシュと云うレストランでした。金谷港は神奈川県の久里浜港を往復する東京湾フェリーの発着港でも有り背後に鋸山を控えた南総房第一の景勝地でも有ります。
pm700に始まった永年勤続表彰式はステージが大勢の被表彰者で賑わっていました。
此の地に来て30数年が経ち事業所の数も両手の指に余る程になりました。其々の新しい施設長がユーモアを交え被表彰者を紹介しとても和やかな雰囲気でした。表彰をする者も受ける者もみんな地元の人で地訛の会話が弾み、此の地に根を下ろし溶け込みながら少しずつ事業を展開して来た先輩達の姿が懐かしく瞼に浮かびました。之からは完全に地元の事業所として、少しずつ地元の役にたつ様になってくれる事を期待しています。
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[人生の終焉に向けて障害を持つ子の親の願い] [生涯支援に向け]

重度障害を持つ子等が路頭に迷わず、生涯を全うする為に必要な場と支援システムを残してやりたい」と、今から30数年前に親達は社会福祉法人を立ち上げました。そして、やがて必要になると思われる設備を順次整えて参りました。
この活動を始めた頃はピカピカの1年生だった吾が子も、既に40歳を過ぎ、当時の私の年齢を超えました。一緒に活動を始めた親達の約半数は既に鬼籍に入り、残された者も殆が傘寿を超えました。寂しい事ですが、今でも毎年何人かの同志の葬儀に参列しています。まだまだ若い積りで頑張っていましたが、心身に衰えを感じ、ささやかな人生にも終りが見える頃となり、活動の限界も見えて参りました。法人の運営は、その後、此の活動の趣旨に賛同し入会して来た熱心な親達や傘下事業所の幹部職員に既に委ねました。 親達が齢を重ね、此の様な状態になった時に想いを馳せ、諸々と積みあげて来た成果を活用する時が遂にやって来てしまいました。吾が子の成年後見は自分達で立ち上げた成年後見法人「NPO法人ひかり」にお願いし、同時に自分も能力の許す限り成年後見人となる複数後見の審査を管轄裁判所に申請し認可を戴きました。何はともあれ「吾子等が温かい支援を受けながら生涯を全う出来る事」其の為に無くてはならない「社会福祉法人及びその施設」と「成年後見法人NPOひかり」が、破綻する事無く、いつまでも在り続ける事 唯、其れだけが私達の願いです。政権が代わる度に、制度も変わり、大変戸惑いましたが、漸く此処まで辿り着く事が出来ました。世間には此の様な親が大勢居る事を、政治に携わる先生方も充分ご理解の上、弱者に優しい政治を続けて戴きたく願うばかりです              

vcm_s_kf_repr_832x624.jpgユニット談話室の厨房
ベットルーム地元豊岡祭囃子の演奏


福祉とビジネスの問題点 [来し方行く末を訪ねて]

我が国も成熟社会を迎え老人や障害者に理解を示す様に変わり、ようやく北欧諸国なみの福祉社会が到来するかに見えました。然し、嘗て、小泉首相時代の自民党が提唱した”地方で出来る事は地方で、民間で出来る事は民間で”と云った「小さな政府論」は、規制の少ない市場原理主義経済を望むアメリカ共和党型社会待望論でもあります。政府は税金を使ってもやらなければならない「最小限必要な社会保障」と市場原理に基づいて活動する私企業の活動分野の境界さえ示さず、全てをまやかしのセフテイネットで覆い、年々増加する社会保障費を抑制する事だけに血道を上げ其れが恰も行政改革だとの勘違いも甚だしい!之では福祉は私企業の利潤追求の餌食になるだけです。そして真に支援の必要な弱者は永遠に切り捨てられてしまいます。政治や、経済は、政治家や企業家個人の権力や利益を擁護する為の道具では無く、すべからく国民を幸せにする為の道具である事を肝に銘じて戴きたい。税(公助)に頼らず医療介護等の保険制度を基礎に構築された社会保障制度(アメリカではこの様な保険制度さえ確立されて居りません)は社会保障とは云え保険制度そのものです。保険料の支払いが滞った場合、行政は当然保険証を取り上げてしまいます。之では貧乏人は本当に必要な時に使えません。生存権に係わる忌々しき事態です。之は社会保障でも福祉でも有りません。現在の社会保険制度は抜本的に改定する必要が有ります。社会保険制度に依る支援と税金で賄う弱者救済の為の公助を明確に区分する必要が有ります。雨後の筍の様に誕生している私企業に依る介護ビジネスは社会保険制度と税で賄われる公助のはざまを如何に利用して有利に利益に結びつけるかを背景に構築された福祉の商業化そのものです。商業化が悪だとは申しません。採算に乗る部分は正に恰好のビジネスです。然し、私企業に依るビジネスライクな介護が公的支援分野の社会保障費を極端に消費し、1000兆を超える財政赤字の根源を作っている事も考慮すべきです。「株主保護と利潤追求」を目的とする私企業である限り不採算部門は必ず切り捨てます。此の不採算部門こそが、真に必要な社会保障です。現在の福祉ビジネスの問題点は正にこの個処に有ります、採算の合わない箇処を合う様に捏造して公金を受け取る(嘗てコムスンでは、此の部門の制度を悪用して利潤追求の道具と致しました。コムスンが破綻した後、其の様な処をビジネス化する私企業が現れぬ為利用者はコムスン時代の様に行き届いた介護が受けられず泣きを見ているとテレビでは報じて居ります。)「ビジネスと福祉」「私企業と社会福祉事業」の役割分担を明示せず福祉の商業化を推進した場合、私企業が利益の拾い取りで食い散らした残飯のみ受け持つ事になる福祉関連の公益法人は成り立ちません。やがて福祉不毛の時代に突入します。為政者は生活苦におびえ慄いている弱者にこそ明るい未来を夢見る政策を打ち出して貰いたいものです。

談話室


法定成年後見人NPOひかり [来し方行く末を訪ねて]


利用者である子供達が親亡き後も安全に生き続けて行ける事を願って保護者会では嘗て「年金管理委員会」「互助会」等の活動を続けて参りました。然し、之では不充分です。更に発展させ2005年11月に法的に第3者に対抗可能な法人成年後見人「NPO法人ひかり」を設立致しました。生身の人間と異なり順調に管理運営さえすれば滅びる事のない、しかも複数の理事の意見を採り入れられる、云わば不滅の「法人法定成年後見人制度(平成12年民法改訂)」を利用して親亡き後も利用者達が恙無く生きて行ける様に家裁の指導管理の下「身辺監護」及び「財産管理」等の活動をしています。「薄光会」とは利益相反する別の法人で有る事も互いに研鑽し合え、利用者にとって重要な要素でありましょう。
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親達と職員が協力して施設の運営 [来し方行く末を訪ねて]

光生園中庭子供達の支援や「親亡き後」の問題など、職員を交え真剣に討議を重ねながら必要に応じ対策を構じて参りました。親亡き後、利用者の「生涯支援」についても真剣に討議を重ねました。子供達が歳を重ね成人施設での生活が儘ならなくなり、老人施設に入る頃には親は亡く、其の時になって困らぬ様にと資金を出し合い、「生涯支援」を目指して特別養護老人ホームを、更には地域との交流を深め、地域密着型に方向転換を図る為、地域の障害を持つ子と家族の幸せを願って[特別支援学校の高等部卆業後]の支援の場である通所施設の建設を計画し実施して参りました。




何処へ行っても厄介者(施設建設予定地捜し) [来し方行く末を訪ねて]


苦心惨憺の末、漸く見つけた建設予定地は、いざ最終的に契約捺印の段になると、次々に地主の縁者や近隣住民の猛反対に会い、全て破談になってしまいました。最早之以上どの様に努力しても建設予定地を見付ける事は困難と途方に暮れて居りました。そんな時、漸く巡り合えた地主さんが豊岡光生園の地主さんでした。私達は地獄で仏に会った様な気持ちで慶びました。処が予定地は掘削しても水も満足に出ない、房総丘陵の北側で前面に農業用水のダムのある荒れた傾斜地でした。然し最早私達に選択の余地など有りません、止むを得ず施設建設用地として此処を契約する事に致しました。そして所轄官庁の許可を得、何の拘りも無くこの地に施設を建設致しました。現在では、指導官庁は、街なかに移転する様に薦められますが、私達は、選り好んでこの地に開設した訳ではありません。予定地を探し出しては、断られ続け、尻に火のつく様な思いで漸く借用する事が出来た場所が此の地で、他に建設出来る場処等何処にも無かったのです。溺れる者は藁をもつかむ思いでこの地にしがみ付いて来たのです。僅か30数年前の事ですが、之も障害者差別に係わる此の国の歴史の一齣とご理解頂ければと存じます。障害者や其の家族にも、施設にも、其々歴史が有り、訳が有って現在に到って居る事を重く受け止め、制度改定等には充分配慮して戴きたいと思います。親達は、その後も継続して、建設に必要な法人の自己資金を作り、行政や支援団体より援助を戴き、医療福祉事業団の融資を受け、施工業者にも協力頂き、漸く吾が子等の為に施設を開設する事が出来ました。然し、運営費(措置費及び寄付金等)の中から医療福祉事業団への返済等はとても不可能でした。親子が共に生きて行く為にかけがえの無い此の施設は自分達親子で護って行かなければなりません。窮余の一策として、止む無く成年に達した利用者の年金の二分の一に当たる金額を返済金に宛てる事とし、親達はこぞって之に協力致しました。この様にして県内各地から集まった重度障害者及びその親達は、この地では全くのよそ者集団で、鈴木前理事長の言を借りれば「孤軍敵地に舞い降りた落下傘部隊」の様な存在でした。法人設立頭初より今日まで、私達は、「互いに支え合い、子供達は自分達の手で護る」自助努力をバックボーンに多くの方々の援助を戴き行動を続けて参りました。然し、之は吾が子を思う親達の愛情と「措置費制度」と云う背景に支えられたものであり、広く地域に開かれた施設とは程遠い存在でありました。然し、現在では福祉に対すろ世間の考え方も大きく変わり、バリアフリーの概念が普遍的になり、利用者に依る選択の時代になりました。地域のニーズを満たし、より強く地域に密着し、地域の人々に頼りにされる存在にならなくては存続は不可能な時代になりました。

築30年を迎えた園舎


社会福祉法人の立ち上げ [来し方行く末を訪ねて]

僅か三十数年前の養護学校もまだ無かった頃の話ですが、、世間は福祉に理解がまだ浅く、障害者と其の家族にとって此の国はとても住み難い処でした。大勢の希望者の中から苦労をして漸く入園出来た児童施設も、十八歳になると強制的に退園を迫られます。其の後、入れる施設等何処にもありません。障碍を抱えた子を自宅に迎え、共に暮らすしか道はありません。やがて其の生活にも疲れ果て行き場を無くし共に命を絶つ親が後を絶ちませんでした。此の様な状況を乗り越え、親子が共に生きて行くには自分達で入所施設を作り、運営して行く以外方法が見当たりませんでした。如何したら、施設を作る事が出来るか?親達は真剣に検討を重ねました。その結果、自分達で社会福祉法人を設立し、行政や支援団体の援助を受け施設を作り、運営して行く以外方法の無い事を知りました。それにしても想像を絶する自己資金が必要な事を知り愕然と致しました。然し、此の儘、黙して座するのみでは親子共に死を待つばかりです。力を合わせ行動を起こせば開ける道も有るだろうと、不安を抱きながらも、法人の立ち上げを決意し、募金を募りました。然し素人の悲しさ、思う様に集める事が出来ません。止むを得ず自分名義の不動産を持つ親達は、自宅や屋敷を担保に資金作りをする事に致しました。一方、此の様に家族をも犠牲にした、献身的な同志の行動を無駄にさせてはならじと、他の親達も其々自分達の出来る方法で資金のカンパを始めました。そして、紆余曲折の末、施設建設に向け、漸く法人を立ち上げる事が出来ました。

個々の生き方を重視する設計 [福祉]

昭和51年に障害者の親達が我が子の将来を思い、社会福祉法人を立ち上げ、苦労をして建てた施設は、当時としては比較的新しい設計の園舎でした。然し、築後30数年を経た現在では利用者の生活様式もすっかり変り、使い難い代物になっていました。以前から改築改造をと考えて居りましたが、支援法の制改訂等々に阻まれ、思う様に計画が捗らず悩んで居りました。処が最近になって関連法令の目まぐるしい変化も漸く落ちつい来た様で、再度皆様のご支援を戴き、斬新な設計の下、地元建設会社の協力を戴き、漸く竣工する運びとなりました。昨日、昼食を兼ねた、竣工祝賀会が行われ、家内と共に次男に面会し、一緒に昼食会に参加し楽しいひと時を過ごす事が出来ました。傘寿を過ぎた今、念願の竣工を祝う集まりに参加する事が出来、心より喜んで居ります。御支援下された皆様本当に有難う御座いました。心より感謝申し上げます。

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園舎の一部が完成して入居 [生涯支援]

念願の増改築工事も順調に進み、園舎が一部利用開始になりました。早速拝見させて戴きました。とても明るくて使い易そうでした。支援のシステムユニット方式で、OFFの生活を楽しめる工夫が随所に施されていました。利用者の笑顔がとても印象的でした。4月頃には全館オープン出来る予定と伺いました。

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          昭和55年に重度・最重度の知的障がいの子をもつ親たちの手によって開設され、運営されてきた施設です。利用者ひとりひとりに寄り添い、暮らしを共に見つめ、よりよい生活を日々模索しております.

事業の内容

施設入所支援

40名の方々が各ユニットに分かれて、それぞのユニットで過ごされています。


生活介護事業

40名の方々が、それぞれのおしごと場へ出勤し、地域の方々とふれあいながら、おしごとをすすめています。


短期入所   

定員は、1日10名になっています。ご家庭の方が体調を崩された時に利用されたり、レスパイトとして利用されています。

日中一時支援

定員は、1日10名になっています。主に週末にご利用されています。


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